次の場面では、庄兵衛の問いかけに対して、喜助がなぜ島へ送られることを苦にしていないのか、その理由を語ります。
喜助は、島へ行くことが他の人にとって悲しいことだということは理解していました。しかし、自分はこれまで京都で非常に苦しい生活をしてきたため、島で生活することをそれほど不幸だとは感じていませんでした。
喜助には、これまで「自分がいてもよい」と思えるような場所がありませんでした。そのため、たとえ島であっても、そこで暮らすように命じられ、落ち着いて生活できること自体をありがたいと感じていたのです。さらに、喜助は島へ送られる際に二百文を与えられています。今まで働いて得たお金も、生活のためにすぐ使わなければならず、自分のお金として持っていることができなかった喜助にとって、この二百文は初めて手元に残ったお金でした。喜助は、それを島で生活を始めるためのお金にしようと楽しみにしていました。
この話を聞いた庄兵衛は、自分の生活と喜助の生活を比べます。庄兵衛自身も決して裕福な生活をしているわけではなく、家族を養うために余裕のない生活をしていました。しかし、喜助ほど貧しいわけではありません。それにもかかわらず、庄兵衛は自分の生活に十分満足しているとは言えませんでした。
そこで庄兵衛が注目したのが、喜助の「足ることを知っている」というところです。
人は、食べるものがなければ食べ物を求め、お金が少し貯まれば、今度はもっと多くのお金が欲しくなります。このように考えていくと、人間の欲には終わりがありません。しかし喜助は、わずかな二百文を持っているだけでも満足し、これからの生活に希望を感じています。
庄兵衛は、そんな喜助を見て、人間にとって本当の満足とは何なのかを考え始めます。
この場面では、単に喜助が前向きな人物として描かれているだけではなく、「人はどこまで手に入れれば満足できるのか」という問題が示されているように思います。
皆さんも、自分だったら喜助のように今あるものに満足できるか、それともさらに多くのものを求めてしまうかを考えながら読んでみてください。
引用:青空文庫・「高瀬舟」森鷗外https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/691_15352.html
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