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【高瀬舟】~森鴎外から学ぶ~10
みなさんこんにちは。
今回は、前回に引き続き『高瀬舟』について考えていきたいと思います。
前回は、喜助がなぜ「弟殺し」の罪人となったのか、その事情について見ていきました。
喜助は弟を憎んでいたわけではありません。
むしろ、病気で働けなくなった弟を支えるために、一人で働き続けていました。
しかし弟は、自分が兄の負担になっていることを苦にして、自ら命を絶とうとします。
それでも死に切ることができず、苦しみ続ける弟から「刃物を抜いてほしい」と頼まれた喜助は、迷った末にその願いを聞き入れました。
その結果、弟は亡くなり、喜助は罪人として島へ送られることになったのです。
この話を聞いた庄兵衛は、簡単には答えを出すことができません。
法律の上では、喜助は弟を死なせた人間です。
しかし、喜助には弟を苦しめようという気持ちも、自分の利益のために殺そうという気持ちもありませんでした。
それどころか、最後まで弟を助けようとしていました。
ここで『高瀬舟』は、私たちに非常に難しい問いを投げかけてきます。
「人を死なせたという結果だけを見て、その人を悪人だと決めることができるのか。」
という問題です。
私たちは普段、物事を「正しい」「間違っている」、「良い」「悪い」と分けて考えることがあります。
もちろん、はっきりと答えを出さなければならない場面もあります。
しかし、現実の出来事には、それだけでは判断できないこともあります。
同じ行動であっても、なぜその行動をしたのか、その人がどのような状況に置かれていたのかによって、見え方は変わってきます。
喜助の行動もまさにそうです。
結果だけを見れば、「弟を死なせた」と言えます。
しかし、その前には、
弟を支え続けてきたこと。
助けようとして医者を呼ぼうとしたこと。
苦しむ弟から何度も頼まれたこと。
そして、喜助自身もどうすればよいのか分からないほど追い詰められていたこと。
こうした背景があります。
だからこそ庄兵衛も、喜助をただの罪人として見ることができなくなっていったのでしょう。
これは、勉強にも少し似ている部分があります。
問題を解くとき、私たちはつい「答え」だけを見てしまいます。
正解なら〇、間違っていれば×。
しかし、本当に大切なのは、そこにたどり着くまでにどう考えたのかという部分でもあります。
秀学舎学習塾では、分からない問題があったとき、すぐに答えを教えるのではなく、ヒントを出しながら、自分で答えにたどり着けるようにすることを大切にしています。
なぜなら、自分で考えた経験は、次に似た問題と出会ったときに大きな力になるからです。
国語でも同じです。
「この人物は悪い人です。」
「この人物は良い人です。」
それだけで終わらせるのではなく、
「なぜそう思ったのか。」
「本文のどこからそう考えたのか。」
「反対の立場から見るとどう見えるのか。」
そこまで考えることで、文章の読み方は大きく変わります。
『高瀬舟』には、簡単に答えを出すことのできない問いが多くあります。
しかし、答えが一つに決まっていないからこそ、自分で考える意味があるのだと思います。
勉強というと、正解を覚えるものだと思われがちです。
ですが、本当の学びは、「なぜだろう」と立ち止まって考えるところから始まるのではないでしょうか。
喜助は本当に「罪人」と呼ぶだけの人物なのでしょうか。
庄兵衛が抱いた迷いを、自分自身の問題として考えてみてください。
自分だったら喜助をどのように見るのか。
そして、自分が庄兵衛の立場だったら、喜助にどんな言葉をかけるのか。
ぜひ一度、自分なりの答えを考えてみてください。
次回は、喜助の行為をめぐって庄兵衛が考える「人を裁くこと」について、さらに深く見ていきたいと思います。
引用:青空文庫・「高瀬舟」森鷗外
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/691_15352.html




