
抜粋:株式会社好学出版・数学Adventure5級
今回は、『高瀬舟』の以下の部分に着目してみたいと思います。
「それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。
護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この痩肉の、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。
庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。」
この場面では、主に喜助の様子が描かれています。喜助はとてもおとなしく従順な態度であり、その態度は他の罪人の態度とは異なるものであると書いてあります。通常、罪人からは権力者に従い、媚びたりする様子が見受けられると書かれています。しかし、この場面では、喜助はただおとなしく従順に従っており、媚びる様子がないということが印象的に描かれていると考えられます。
このように、喜助の人柄や様子に着目すると、よりこの作品への理解を深められると思います。
引用:青空文庫・「高瀬舟」森鷗外https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/691_15352.html
「文系だから数学をやる意味はない」
人生で度々このような発言を耳にしてきたが、はたして本当にそうなのだろうか?
『数学的思考法―説明力を鍛えるヒント―』では、文系進学者に理科や数学は不必要という考えは、日本の国力をそぐ迷信だと言い切っている。この主張には教科間の内容が融合されることでより理解が深まるという根拠があるらしい。
たしかにその通りだが、個人的にはもっと単純な話であるように思う。というのも、「文系」という主語は少し大きすぎるのではないだろうか。例えば、従来文系進学者の学部とされていた経済学部の入試科目に数学を必要とする大学がいると増加しているという事実がある。これはまさしく「文系」が「数学」をやる意味のある事例だ。したがって、学生の方々には、自分の将来進む分野を明確にすることで、文系という不明瞭な言葉を用いずに具体的な根拠を持って数学の不必要性を示していただければと思う。
参考文献
芳沢光雄『数学的思考法 ―説明力を鍛えるヒント―』講談社現代新書、2005年